9.16.2008

passing through the cross

もうずいぶんかかっているけれど。

すべてを見ることはできない。わからないことはわからない。
主にすべて持って行き、赦し、委ねる。知っておられる方に。

これからどうしよう・・・という思いも。

何もしなくていい。何も決めなくていい。
先を歩いてくださる主について行くだけ。

十字架で、木、草、わらが焼かれてゆく。
人間の方法、信仰ではないもの、愛でないもの・・・その影響。

これまでのことも、今手元にあるものも、すべてを主から直接受け取ろう。
すべてリセット。再スタート。ただ主のもとで、主と。

今日、気付いたこと・・・私の態度、心にあったもの・・・敵が付け入る機会。Never cling to anybody. Never. 大きな収穫^^

Delighted in where I am.
So glad that He is here in my everything.

9.12.2008

人についてしまうと、その人の目で人や物事を見てしまう。
それはいけない、と、批判される側に身を置こうかと思った。
でも、それも違う。

私は主と共に御座にいる。
そして主は、すべての聖徒たちの側に立っておられる。
慈しみと憐れみをもって。

主とひとつ。
ただ主の中に留まろう。

9.03.2008

一つの結論

自由であるということは、神が私たちに望まれる第一のこと。
それが土台であるところで、私たちは神と関わり、選択をする。

世がどんな様相を呈しても、どんなに人間の悲惨に主の心が痛んでも、
神は自由を取り去らない。
それほどに、自由は大事なもの。

人を手放し、自由にし、あとは主に委ねる。
それが、人にできる最善なのだろう。

手放すことで、痛みも悲しみも心配もなくなるわけではない。
だけど、手放すのは主の御手の中。
あとは主が負ってくださる一部を負わせていただくだけ。

主と共に泣き、共に願う。
真の自由を祈る。

主の重荷だから、もはや重くはない。

9.02.2008

starting all over again

また1から新たに歩み始めよう。
これまでを後にし、新たに主へと。
キリストを兄とし、御父を父として。

弱さが主と出会い、憐れみを受けると、
それは杯を満たし、溢れる。

種は地に落ち、地下深く根を張る。
暗闇に。
いのちにショートカットはない。

寂しさと痛みの向こうに、平安、自由、喜び、豊かさ。
何もないところから。