自由であるということは、神が私たちに望まれる第一のこと。
それが土台であるところで、私たちは神と関わり、選択をする。
世がどんな様相を呈しても、どんなに人間の悲惨に主の心が痛んでも、
神は自由を取り去らない。
それほどに、自由は大事なもの。
人を手放し、自由にし、あとは主に委ねる。
それが、人にできる最善なのだろう。
手放すことで、痛みも悲しみも心配もなくなるわけではない。
だけど、手放すのは主の御手の中。
あとは主が負ってくださる一部を負わせていただくだけ。
主と共に泣き、共に願う。
真の自由を祈る。
主の重荷だから、もはや重くはない。
9.03.2008
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